愛工大が生んだ日本の剛腕が、母校への思いを語る。
2009.05.29
元日本ハムファイターズ
西崎幸広氏
札幌テレビ、STVラジオ、SKY-Aで野球解説者として活躍中。また北海道日本ハムファイターズのOB会長も務めている。
-子供の頃はどんな野球少年だったんですか?
健康優良児。勉強の方は・・・ほどほどですね。背もそんなに大きくなかったんです。高1くらいに急に伸びたのかな。小中高のころはずば抜けてなかったんですよ。ストレートも早くないし、体もそんなに大きくないし。そんなに騒がれる選手じゃなかった。
-ずば抜けてなかったとおっしゃいましたが、愛工大野球部ではたくさんの記録が残っていますね。1試合で23個の三振をとったり。
ありますね、37勝もそうですし。だから大学に入学してからですよ、体も大きくなってきて、ストレートも早くなったのは。1試合23個の三振を取った時は、投げててもとりあえず試合に勝つことしか頭に入ってないから何にも考えずに投げてましたね。最終的に試合が終わって勝った後に新聞記者から「23奪三振取りましたよ」って言われただけで、それまで全然記録のことなんて気にしたこともなかった。
-愛工大野球部時代の忘れられないエピソードは?
あんまり言えないかもしれない。(笑)
僕が3年生の時に神宮大会で準優勝してるんです。当時は慶應に決勝で負けてきたんですけど、当然全国で準優勝だから名古屋駅は大変なことになっているだろうなって4年生と言っていたんですけど、名古屋駅に着いて、降りた瞬間にインスタントカメラを持ったカメラマンが一人だけしかいなくて。(笑)大学関係の人も迎えに来てくれてるんじゃないかなと思ってて、名古屋駅にいなかったんできっと大学で待ってるんだろうなと思ったら大学にも誰もいなかったという。(笑)
-86年にドラフト1位で日本ハムファイターズに入団され、大学生から大人の社会に飛び込んだわけですが、一番変わったことは何ですか?
大学は夜間主だったから午前中はアルバイトって学校から義務づけられていたんで働いてはいたんですよね。最初は喫茶店で、その次に千種の方にある地図を作る会社、そこで2年くらい働いて、後は中華料理屋、名古屋インター出たところの。アルバイトやって給料もらってたけど、プロ野球に入って通帳に振り込まれたの見たら「えっ!!」みたいな金額やないですか、その点はびっくりしましたよね。






